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「教養」のゆくえ

更新日:10月21日

ノーベル生理学・医学賞を受賞した、免疫学者の坂口志文氏は、妻の教子さんとともに地道に行った研究活動の成果が評価されたという。

 

 〈自己〉と、そうでないもの(ウィルスなど攻撃対象)とを区別する「免疫」という身体の機能は今なお不思議です。

 NHK「ニュース解説 時論公論」(10月8日放映)では、吉川美恵子解説委員(医療担当)は、坂口氏が免疫の研究に魅せられたきっかけについて、「『自己』と『非自己』……こうした哲学的な深い洞察が、受賞につながったのかもしれません」と述べています。哲学的問いを心に抱きながら研究を継続した坂口氏は、(あるサイトによると)京都大学で哲学を学んだ教員のお父様の影響もあったのかもしれません。

 

 現代、世界中の「大学」という高等教育機関は、12世紀頃の「カトリック大学」から生まれたということができます。自由学芸とか自由七科と呼ばれた大学の基礎課程は、ラテン語文法や論理学のみならず数学、天文学、音楽(音学)などの、いわゆる教養科目で、学芸(arts)であったことは意義深いものがあります。人間の現実に肉薄する学術研究の基礎課程は、単に論理的客観的な思考能力だけではないという認識でした。

 

 これらの基礎課程を含む総仕上げは哲学部と呼ばれ、その名残は「学術博士Ph.D: Doctor of Philosophy」という学位名称に表れています。

 このように、単に論理的客観的な研究の累積だけが大学という高等教育機関を成り立たせているのでは無いことを、あらためてノーベル賞受賞者の坂口氏の人となりから考えます。


 現代人は、残念ながら日本語の教養という語を、本来意味する内容で使っていないようですが、それでは、本来の意味の教養は、どのようにして大学で学ぶ者に届くのか──現代の大学が抱える大きな課題です。


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