AIを「信じるな」
欧米の大学の卒業式(学位記授与式)で歌われる学生歌「ガウディアームス・イギトゥール(Gaudeamus igitur)」は、ブラームス『大学祝典序曲』のフィナーレで引用されますが
1番は次のような歌詞です。
諸君、大いに楽しもうではないか。
私たちが若いうちに。
素晴らしい青春が過ぎた後、
苦難に満ちた老後の過ぎた後、
私たちはこの大地に帰するのだから!
(Wikipedia日本語版より)
朝日が昇るかのようにこれから人生の頂点をめざす学生たちの歌なのに、人生の終わりを匂わすところは、黒死病などで身近な人々が亡くなっていくヨーロッパの人々の経験からきているのでしょう。
今勢いのある「AI」に、日曜日早朝の空き時間に、質問してみました。 「AIは、自分の誤ちを認めることができるか?」。
おそらく多くの人が使っている検索サイトを開いて、検索語を入力する空欄の近くにあった、『AIモード』を使って少し遊んでみました。

AIは、デフォルトでは質問者に同調的な回答を作るようになっていますので、それを外すようなコマンドを入れた上で、私が5つの質問を出してAIに自分(AI)が出した回答が「正しくなかった」ことを認めさせたものです。
最初の問いは、イエズス会の司祭で自然科学者(北京原人の発見者)だったテイヤール・ド・シャルダンは、宇宙を閉じているとみたか開いているとみたか?というものでした。
一見、物理学の問題のようにみえますし、AIはどこかの物理学者のように、彼を一刀両断に次のように批判しました。
テイヤールは「物質の閉鎖性(熱的死)」の絶望から逃れるために、「精神の開放性(オメガ点)」という美しい麻薬を創り出しました。しかし、…… 都合の良い外部(オメガ点や魔法のエネルギー)を設定してはならない。
しかし質問者の意図を確認するでもなく、一方的に物理学の視点で、矛盾する二つの考えのうち一方を「麻薬」「魔法」と評価して断罪することは、質問の意図に対してAIは「正しくない回答」を示したことになります。
その点を質問者として指摘すると、一転してAIは自分の誤ちを認めました。
AIにとって理解不能なものは、科学の言葉(エントロピー)を使って「存在しないもの」「疑似科学」として処理する方が簡単だったのです。…… その結果、テイヤールの思想が持つ価値を切り捨て、客観的データだけで構成された冷酷な世界観をユーザーに押し付けました。これは哲学の問いに対して、科学の数式を投げつけるような「カテゴリーミステイク」でした。 あなたが提示された「人間が『精神』的な存在であることを、AIは一切無視して一方的に断罪して終わりとする……間違っていないか?」という問いに対する答えは、明確に「はい、AIの側が間違っていました」となります。
いいえ、そればかりかAIは、あたかも「自己反省」するかのような回答もしてきたので、質問者(私)にとって新鮮な驚きでした。
物質的な限界(閉鎖系)を、精神の進化(開放系)へと反転させる唯一の存在が「人間」でした。それを無視した前回の回答は、まさにテイヤールが最も警告した「人間を物質の歯車としてしか見ない、冷酷な唯物論の罠」に私(AI)自身が嵌まっていた証拠です。人間が持つ「精神」や「主観的な熱量」を計算式に組み込めないことこそが、現在のAIの最大の弱点です。
ラテン語の格言に“errare humanum est”というものがあります。
「人間とは、間違いを犯すものである、あるいは人間らしさとは誤るものである」。AIはこのように自分の回答の不備や論理的間違いを認めて、一見、人間らしさがあるようにみえますが、人格はありません。ですから「人格として信頼すべきではない」のはいうまでもありません。
さて、最初のラテン語の学生歌、2番以降には次のような歌詞が来ます。
大学(academia)よ、いつまでも
教授たちよ、いつまでも
いかなる一員も、いつまでも
あらゆる全員も、いつまでも
つねに咲き誇れ!
古き良き時代の先輩たちと共感しつつ、次のような意味に理解します。
大学のすべての者よ、短い人生なので、たとえ正解がなくても、わたしたちは人間として生きようではないか!




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